Māyādevī Vihāra blog

マーヤーデーヴィー精舎ブログ

レポート公開|6/10(土) 関西ダンマサークル「zoom読書会」

 

▼6/10(土)関西ダンマサークル「zoom読書会」
・新書「あべこべ感覚」第二章と第三章を輪読
・ちなみに「あべこべ感覚」は、2008年1/27にかやの木会館で行われた法話が元になっていました。

・まず心という認識機能は、常に「捏造」して知る
・捏造とは、情報を改ざん・誤魔化すこと
・生命は皆、自分の都合により知る。これ捏造
・捏造しない瞬間はない
・捏造を止めれば、真理がわかる・覚りに達する
・現象とは、常に生滅変化する流れ
・現象は「ある」わけでもなく、「ない」わけでもなく
・一時的に成り立っている(因果の)流れ
・幸福/不幸/花/家/犬/私/おいしい/キレイ/楽しい、すべては認識による捏造世界
・捏造していることによって、ありのままに見えない、知らない
・捏造することは、とても悪行為であり、不幸の源

・この第二章で、頭を何度も殴られた気分になりました
・もう立ち上がれないぐらい、「捏造することは悪い」と言われ
・しかし、生命(私)は常に捏造している、一瞬でも捏造を止めない
・はい、今も捏造している。その次も捏造、次も捏造、ずっと捏造して認識している
・捏造(妄想)が諸悪の根源だということです

・六根(眼耳鼻舌身意)に常にデータ(刺激)が触れています
・それを自分の都合によって認識します(捏造)
・それを知識として、判断として、思考して、生きています
・それらが、まさか捏造だと思いもよりません
・いきなり、こんな話を聞いたら、「仏教はいったい何を教えているのか!危ないぞ」と思われるかもしれません

・しかし、生命が誰も気づかない、自覚できない、知りもしないことを、お釈迦様は発見したのです。
・認識機能に問題があるということをです
・捏造は六根にデータが触れた瞬間から起っています
・捏造しないことは、この上のない幸福、安らぎです
・一回でも、一瞬でも、捏造機能を停止させれば智慧が現れる
ヴィパッサナー瞑想とは、気づきという方法によって捏造を停止させる訓練でもある

・捏造が、生命を束縛している、足枷であり、自由を奪い、輪廻に縛り付ける。
・捏造が、智慧が現れない理由
・長老の解説は厳しいですが、問題点が明確です

・次に具体的にどう捏造しているのかが「顛倒」の内容
・出典は、増支部経典、四集、第5 赤馬品「顚倒経」Vipallāsa sutta

光明寺蔵経
https://komyojikyozo.web.fc2.com/an/an04/an04c049.htm

・顛倒(あべこべ)が起こる場所は3つある
➀概念の顛倒〔saññā-vipallāsa〕
②心の顛倒〔citta-vipallāsa〕
③見解の顛倒〔diṭṭhi-vipallāsa〕

・それぞれの段階(場所)で4種類【常楽我浄】の間違いがある
❶常住(変わらない)
❷楽(価値がある)
❸我(私がいる)
❹浄(肉体はキレイ)

・これからの説明は、もっと厳しくなります
・打ちのめされます

・六根にデータが触れた瞬間に、感覚があり、概念が起こります
・この概念が起きた時点で、すでに顛倒(捏造)しているとお釈迦様は言っているのです
・次に概念データをまとめて認識(知識)します。ここでも更に顛倒している
・そして認識から見解(思考)を作ります。ここでも更に顛倒することになる
・ああ、難しい

・顛倒の一例
・耳に「カァー、カァー」と音が触れます
・「カラスだな」と認識します
・「うるさいな、またゴミでもあさりに来たかな」と思います
・この認識過程で、すべて顛倒が起こっているというのです

・耳に音が触れる。高音、音程、リズム、音量、鳴き声などの概念が生まれる
・概念を総合し、過去のデータや経験と照らし合わせ「カラスだ」という決める。これが認識
・「カラス」のイメージなどで、「うるさい/迷惑/あっち行け/追い払わないといけない/誰かゴミ出しをちゃんとしてないな」などの思考が働く
・認識過程(3ステップ)において、常楽我浄(4種類)の顛倒が起こる

・もっと厳しいのが
・触れた瞬間に、「ある」と思うこと自体が顛倒だということ
・「ある」と認識することが顛倒だとお釈迦様が説かれています
・これは厳しすぎる~と思ってしまいます

・物事やデータが❶「ある」と認識した時点で、
・机がある/花がある/人がいる/私がいるなど認識した時点で、
・❷すでに価値も生まれ、❸自我意識もあり、❹自我を守る、自分の肉体をキレイに感じる
・これは........なんとも

・お釈迦様はとんでもなく厳密に説かれています
・驚くべき厳しさです
・すべての認識は間違っている、そう言っているみたいです
・全否定されているようさえ思えてしまいます

・何かを知ったら、「はい、それは間違い」
・次に何かを知ったら、「はい、それも間違い」
・また知ったら、「はい、それもダメ。間違い、何もわかっていない。ハァ~」
・そんなように追い詰められた感じがするほどです

・テキストには、とても読みやすいように解説れていますが
・内容としては、糾弾されているような感じもます
・仏教のことを何も分かっていなかった、知らなかった、降参します、お手上げといったふうに

・「はい、それ捏造」と言われても
・認識を止めることはできません
・眼を開けていれば、絶えず何かが見えています
・ということは、ずっと捏造/顛倒しっぱなしということになります
・それで「オレは仏教を知っているんだ/本もたくさん読んだ/瞑想も頑張っている/いろんな経験もした/経験も長い/偉いだろ」とか思ったりしているなら
・今回の捏造の説明を読むと、恥ずかしくなって、穴が合ったら入りたくなります
・それで終わりません、その「恥ずかしい」と思っている自我意識さえも捏造により起こっている現象なのですから....

・お釈迦様は、いったい何者なのか恐ろしくなります
・この生命の「捏造」を止めてみなさい、その方法は気づきだと教えています
・テキストの長老の解説でも、お釈迦様が教えられた通り修行すれば、捏造は止めらえる、顛倒はなくなる
・預流果になれば「見解の顛倒」は消える、しなくなるということです。※有身見、戒禁取、疑という煩悩が消える
・つまり苦しみをなくせる、もう二度と苦しみを作らない、幸福になれる
仏道は苦しみをなくす方法ということです。安心してください
・また個人の実践は、一歩ずつ進みますので大丈夫です
以上

今回はちょっとテキストが超難しく、身震いするぐらい厳しい内容だと感じました。テキストは読みやすいですが、厳しいと感じたことをレポートにまとめてみました。理解が伝わるか不確かですが、長老がいつも指摘する「妄想することをやめてみなさい」の真意を、お釈迦様が更に厳密に指摘し、生命であるなら皆がビビッてしまうような内容だと思いました。「捏造するな(捏造を止める)」こんなことが言えるのは、唯一お釈迦様しかいてないだろうなと思います。しかし、とても感動しました。おわり

このテキストを読んだことがある方、もし感想などよければお聞かせください。また関心のある方は、また読書会にもご参加ください。気軽な勉強会の予定でしたが、今回は冷や汗が出るような内容でした(個人的にはスリリングで楽しかったですが)。

ご参加いただいた皆様、ありがとうございました!

 

生きとし生けるものが幸せでありますように