みなさま
今回は10名の方が参加しました。
今回の読書会の時間が短いので、第1章だけ読みました。
第1章はこの本のメインではなく、まだ背景のところです。
今回の読書会(第1章)の結論は下記の太い朱字で先に示します。
人間は自分の願望だけ叶えば、その後のことやその他のことは考えない。
学校では道徳の授業があるが、「正しい生き方」が教えられてない。
問題が起こってはじめて宗教に走る。しかし、宗教も「あべこべ」。
宗教と世間一般の「あべこべ」の原因は「非論理性」。
仏教はあべこべではなく、ありのままに知る方法を教える。
レポートは長文になりますが、よければ読んでみてください。
▼ 2023/4/22(土) 関西ダンマサークル「zoom読書会」レポート
・接続確認
・慈悲の瞑想
・読書会
今回のテキスト「あべこべ感覚」(サンガ)※電子書籍なし
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4901679716/jtheravada-22/
・話し合い
・廻向の文
第1章「宗教 VS 世間」という対立
この本は「あべこべですよ」という結論。
皆があべこべ(さからさま)の感情で生きている。
例:人生は苦しいものだが、皆は「人生は楽しい」と思っている。
今の日本では便利だが、何となく苦しかったり、不安だったりしている。
「あべこべ」が生きにくさの原因。
「正しい生き方」が宗教と学校で教えられてない。
他の国は、ある程度は宗教が文化として社会に根付いている。
日本では一般社会と宗教をはっきりと区別している。
宗教の教えは、少しも日本人の中に浸透してない。
学校も精神や心について教えない。
道徳の授業はあるが、日常社会のマナーとルールのことである。
例:電車ではお年寄りに座席を譲りましょう、公園にごみをポイ捨てするのはやめましょう、などなど。
正しい生き方を教えるのが道徳。
道徳とは、本来は「幸福に生きる」という、すべての生命の切望を実現できる正しい生き方のことである。
マナーは場所によって違う。それは道徳ではない。
道徳を守ることはよいことかもしれないが、それほど必要に迫られていないので、そのうちやると思われる。
でも「そのうちやります」は永遠にやらない。
世間では欲を満たしながら長生きをすることが正しい生き方だと思っている。
道徳は普段の生活には登場しない。
論理・道徳に説得力を感じない。
「とことん儲けなさい」「金持ちになりなさい」「ライバルに勝ちなさい」などと言われると、皆が賛同する。
でも「嘘をつくな」「敵も許すべきだ」などという話は、疑問に思われる。
人間の本音は自分の願望だけ叶えば、その後のことやその他のことは考えない。
「殺したい」という自分の願望しか考えられない。
自分の願望さえ叶うなら、いかなる残酷なことにも労を憎しみないというのは人間の本音。
「自分さえよければいいや」という考えは、排除や差別を生みだす。
例えば、罪を犯した人とその家族が周りの人達に排除される。
道徳を気にしない為、世の中が苦しくなっている。
皆が自分勝手に自分の都合で生きている。
普段は宗教の話はあまり興味がないが、問題が起こってはじめて宗教に走る。
大変なことが起こらない限り、宗教と関わらない。
世の中には色々な宗教があって、この世のことや生き方について、色々なことを語っている。
ヒンドゥー教では、「この世の中は幻想・幻覚である」と説く。
「この世は仮の世界」と言われても理解できない。
一般の人にとってはこの世が本当のこと。
宗教の考えと世間一般の考えは「あべこべ」なのでかみ合わない。
宗教と世間一般の「あべこべ」の原因は「非論理性」。
宗教にはたくさんの言葉がある。
しかし論理的に説明されてないので、理解できない。
般若心経に書いてある「一切皆空」は「世の中は空だ」「世の中は存在しないのだ」という意味。
でも「一切皆空」はお釈迦様の言葉ではない。
▼補足説明
・「一切皆空」はお釈迦様の言葉ではない
・「一切皆苦」はお釈迦様の言葉です
仏教では「すべては幻だ」とは言わない。
「私(自我)はない、あるのは因果法則」と言う。
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お釈迦様は「ただ生命は、情報・対象を、そのまま認識しないで、捏造して(パパンチェーティ)認識するのだ」と説く。
捏造することで、本当のことが分からなくなっている。
世の中が事実か幻かは関係なく、問題は捏造することにある。
「捏造」については次の章で詳しく解説する。
宗教には有名でもよく理解できないというような言葉はたくさんある。
論理的な証拠がないものは妄想。
お釈迦様は論理的で実際的なことを教える。
調べればわかることを説いているので、一般社会でも通用するもの。
お釈迦様の論理性をもってすれば、宗教VS世間一般という対立は解消する。
論理的でなければ、発展しない。
論理的に証拠を示せない世の宗教の教えはあべこべ感覚に基づく邪見である。
お釈迦様は人間に考えられる邪見は六二あると仰った。
現代の邪見は、全知全能の神を信仰することと、「我はお釈迦様である」と思っている教えと、神の考え方を真似ているものだけである。
日本では宗教を社会生活から切り離しているが、一方では、やけに真剣に信仰しているようである。
例えば、般若心経がうちわに書いてあったりする。
信じなければいけないものは嘘。
事実は信じる必要がない。
仏教は自由な宗教。
信じなければならないということはない。
世間一般の考えはあべこべなので、最初からすべてお釈迦様の教えを理解できるはずもない。
少しずつ吸収していけばいい。
分からないことは保留しておいてもいい。
しっかりと修行を続けていけば、最終的に目指す「解脱」まで、論理的に着々と進んでいる。
世の中の宗教が「あべこべ感覚」に基づいた思考で、「私はいる、私は死なない」という実感しかもたないので、発展させない。
論理的に考えることで発展できる。
次の章から紹介していくのは、成功と幸福に導く、お釈迦様の道。
あべこべ感覚でものごとをさかさまに理解していたら、幸福になれない。
ありのままに知る方法を教えるお釈迦様の道は「勝利の道」。
生きとし生けるものが幸せでありますように