Māyādevī Vihāra blog

マーヤーデーヴィー精舎ブログ

レポート公開|5/15(月) 関西ダンマサークル「zoom茶話会」

 

みなさま

いつもお世話になっております。

 

 関西ダンマサークル「zoom茶話会」を行いました。11名の方がご参加くださいました。誠にありがとうございました。

 

 準備していたテキストのうち、ひとつを紹介し、そのテーマについて皆さんにご意見・ご感想をお聞きしました。紹介したテキストは添付いたします。短い内容ですが、大事な教えが説かれていると思います。簡単な要約をレポートにしたいと思います。よければ読んでみてください。

 

▼5/15(月)20時 関西ダンマサークル「zoom茶話会」

・農業を営んでいる婆羅門(地主)の話

・お釈迦さまと毎日のように短く会話をする

・収穫ができたら友であるお釈迦さにお布施の約束をする【→信頼関係を作る】

・収穫前夜、一夜にして自分の財産である農作物が雨で流され、すべてを失ってしまう

・耐えがたい苦しみを感じる

・お釈迦さまが現れ、婆羅門に質問をする【→助けてあげる】

・「なぜ悲しみ(苦しみ)が起こったのかわかりますか?」<苦とは何か/苦聖諦>

・婆羅門は「わからない」と返答する

・お釈迦さまは「期待(渇愛)があったからです」と答えを教えてあげる<苦しみの原因/苦集諦>

・偈を説き教える<苦滅諦/苦滅道諦>

・婆羅門は預流果に覚る

 

渇望(期待)から悲しみが生れる。

渇望から恐れが生れる。

渇望から解放されたものには、

悲しみも恐れもない

 

Taṇhāya jāyatī soko,

Taṇhāya jāyatī bhayaṃ;

Taṇhāya vippamuttassa,

Natthi soko kuto bhayaṃ.(Dhp 216)

 

・シンプルな物語の教え

・期待がなければ、苦しみ(悲しみ/恐れ)はない

・単純な論理

 

・しかし

・「はい、期待(妄想)をやめてください」と言われてもやめられない

・無常ということを知らない(無知)なので、瞬間 瞬間に期待をしてしまう

・生きることは、期待することの連続でしかない

・期待を叶えることが生きることだと勘違いしてしまう

・人生が順調にいけば、それなりの期待をすることになる

・人生が不調になればなるほど、現実離れした期待を抱いてしまう

・若者は明るい未来を期待して、毎日を一生懸命に生きる。

・夢や目標に向かって走っていく→期待を膨らませる

・高齢者は、どんどん不自由になり思い通りにならないことで不機嫌・不満(苦しみ)を感じる

・しかし、不満を捨てれず、違った期待を抱くようになる(現実離れ)

・理不尽なのは、期待が叶ったとしても、次の期待をしてしまうこと

・期待が叶わなかったら不満を感じ、また違った期待をしてしまうこと

・普通に生きていたら「期待しない」ということは無理

・だけど、苦しみの原因は期待(渇愛)であるという

 

・問題点は、無常を理解していないこと

・そもそも、変わらない何か(ずっと続くもの)があると勘違いしていること

・だから期待してしまう、あるいは期待が現実離れしていく(苦しみが増える)

・自己という認識、五取蘊が無常であることを発見することができれば

・期待する意味と理由がなくなる

・悲しみと恐れ(苦しみ)が消える

 

というような理解として、僕は物語を受け取りました。

 

「期待しない/期待はダメ」と言われても、理解したとしても、それはその通りなのですが、無知のままで期待しないことはできません。

 

期待してしまう構造を理解し、新しい認識・気づきをもって、構造を変化させないと、期待しない状態にはならない。

 

まず、いまある期待は、現実的なのか、必要なのか、正しいのか、次に期待とは何なのか、現実(認識)はどうなっているか、そんな順番(戒定慧)で解決していくものだと思いました。

以上

 

◆参考資料

巻頭法話仏陀が発見された真理——渇愛

https://j-theravada.com/dhamma/kantouhouwa/kantou123/

 

根本仏教講義|悟りを開いた人たち③

一夜で財産を失った農夫

https://j-theravada.com/dhamma/kougi/kougi-142/

 

ジャータカ物語|老夫婦の話

https://j-theravada.com/jataka/jataka013/

 

生きとし生けるものが幸せでありますように