Māyādevī Vihāra blog

マーヤーデーヴィー精舎ブログ

レポート公開|8/20(日) 関西ダンマサークル「zoom読書会」※テキスト「心配しないこと」第1章

▼8/20(日)関西ダンマサークル「zoom読書会」レポート
・まず皆さんで慈悲の瞑想をしました。
・新刊「心配しないこと」の第1章「なぜ不安になるのか?」自己評価という落とし穴 を読みました。

 

今回のテキスト「心配しないこと」(大和書房)※電子書籍あり

https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4479012281/jtheravada-22/

 

・私たちの人生は、不安だらけ
・ずっと健康でいられるか、子ども将来が心配、会社が倒産して仕事を失ったらどうしようなどなど、明るい未来を創造できず不安を抱えている
・現状に不安なく「今がとても幸せだ、この幸せが続いてほしい」と感じている人も、自分を取り巻く環境が変化すれば、心配や落ち込みがあるでしょう。
・社会情勢や物価高騰、超高齢者社会や感染症の流行、気候変動や自然災害などなど、外の世界も目まぐるしく変化していて危機を感じます。
・つまり不安や心配とは、『状況が変化することへの恐れ』であるとまとめられる。
・不安の公式『現状が変化することへの恐れ』

・自分の外の世界もどんどん変化していきますが、それ以上のスピードで自分自身(肉体と精神)も絶えず変化してきます。
・自分の変化とは、生老病死です。どんどん寿命は減っていき、若さや健康は失われていきます。
・そもそも現象は無常であって変化することで成り立っていると、散々教えられて学んでいるのに
・変化することに対して、抵抗する・認められない・納得できていない・嫌な気持ちが生れる・悲しくなる・切なくなる・不安になる
・お釈迦様は「変化しないという錯覚に酔うことをやめなさい」と説かれている。

・不安を感じても、不安になっても、それでは何も解決しない、できない。
・不安になることが、不安を消すことにはならない。
・ネガティブな感情は貯まっていくだけで、一向に幸せにはなれない。
・不安や心配を育てずに、手放すべきもの

・不安や心配は、未来や将来を考えることで生まれてくる。
・未来を知ることは不可能、これが答えです。
・未来を過去の情報から推測はできるが、必ずその通りになるわけではない。
・住宅ローンが返済できるか、年金で老後を暮らせるか、健康診断の結果はどうだろうか、子どもがまともに育ち就職できるか、明日の仕事が上手くいくだろうか、テストに合格できるだろうか
・今日の天気予報はどうか、今日の運勢はどうか、あとどれくらい生きれるだろうか、どんな人と結婚するのだろうか、来年はどんな年になるだろうか、
・先のことが知りたくて、未来のことを考えてしまう。
・いくら考えたとしても、未来は不透明で不確定
・まず「未来はどうるなるのかわらかない」これを受け入れられれば、それだけで不安や心配は格段に減らすことができる
・物事は予定通り、スケジュール通りには進まない、これは当たり前のことなのです
・思わぬこと、想定外のことが起こる

・勉強会で僕は過去に対しても不安があると言いましたが、不安は未来に対して生まれる感情です。
・テキストには過去のことは書かれていませんでした。
・過去の出来事は変化させることは不可能ですから、不安ではなく「後悔」という感情になりますね。
・過去の行為に対して、「あんなことしなければよかった」「ああしていればよかった」という悔しさ(怒り)です。

・また、欲が不安を生み出す
・自分ひとりでは何もできない、それで不安になる。
・「あれが欲しい、これが欲しい」という欲が常にあり、欲しいものが手に入るかどうかわからないので、悩みや不安や心配が生じる。
・子どもも大人も満たされない気持ちは変わらない
・流行っているゲームがほしい、皆と同じ習い事がしたい、人気者になりたい、もっとお金を稼ぎたい、家や車を買いたい、成功者になりたい、出世したい、部下から慕われたい、いつまでも若く見られたい
・どこまでいっても満足できない。
・不安や心配は、決して外からやってくるわけではなく、その種は自分で生み出している

・一生懸命に努力して、お金や地位や名誉、世間からの賞賛など欲しいものを手に入れたとする。
・すると、今度は一度手に入れたものを手放すことが不安になってしまう
・持っていないことが不安だったのに、次は持っていることが不安になる
・これも結局は無常ということ
・常に変化し続けているから、安定するということがない。ずっと回転し続ける
・ということで、「現状維持」ということはない
・同じ状態で留まっていられることは不可能
・体力も能力も、どんどん衰えて壊れていくのが法則
・生きるとは変化すること
・変化を恐れず、変化を受け入れることが大切

・仏教心理学で生命の心に「慢(māna)」があると教える
・意味(働き)は「測る」、自分を測る
・慢を働かせ、自分の存在を測る、他者の存在を比較する
・「私とはいったい何者か」と知るために、自分と他人を比較し、自己評価する
・この心の働きは常にある。常に出会う人と自分を測っている
・私は自分と他人を比べたりしないと思う人もいるが、それは単に慢に気づいていないだけ。
・生命はずっと慢という煩悩を回転させている
・自分と他人を測ったあとに、自分より上、自分と同等、自分より下という三つに分類する
・例えば美しさを測れば、自分より美しい、自分と同じぐらい、自分に比べて大したことない
・この「測る」ということで、自分の存在(自我意識)が揺らぐ。
・感情として、自信がないとか、不安や心配、傲慢や優越感、嫉妬や劣等感などのあらゆる感情が生れ悩み苦しむ
・環境が変化するということは測る対象が変わるので、存在が不安定になりやすい
・その点、家族などは、ある程度一定しているので、自分の存在が安定している。居心地が良いと感じ、落ち着く。

・存在が不安定になればなるほど慢は回転し、安定を求めて測り続ける。
・他人と比較することで「私はこういう人間だ」と自我を確立したい
・例えば、自分の左側にボロボロの服を着たダサイ人がいる。その人と自分を測ると、自分はイケていると安心できる。自信が持てる。
・次に自分の右側におしゃれな服を着ているカッコイイ人がいる。その人と自分を測ると、自分はカッコ悪くダサイと感じる。惨めな気分になり落ち込む。自信がなくなる。
・また左側を見ると安心し、右側を見ると自信がなくなり不安になる。そんなもの
・認識では「限りない自我の不安」という状態がある

・存在とは、自分にどの程度の価値があるかということ、それを知りたい。
・つまり自我の価値=慢
・価値によって行動が変化する
・自我=存在=価値
・価値を測り、評価を定め、それに合わせて行為する、これが生命の基本原則
・道端に1円玉が落ちていても気にならないが、1万円札が落ちていたら気にる
・これは価値の問題
・動物園に行ったらパンダは人気があってみな見たがるが、クマにはそれほど関心を持たない。

・価値=執着となる
・どんなものに価値をおくかは人によって異なる
・価値が大きいほど執着が強くなる
・価値は2種類、プラス価値とマイナス価値
・例えば、猫を見て「かわいい」と思うのはプラス価値、猫に触りたくなる
・ヘビを見て「怖い」と思うのはマイナス価値、ヘビから逃げるかヘビを追い出す
・どちらの価値にも執着している
・五感に触れる刺激すべてに対して、価値を入れ、適切に執着し、それに合わせ行動する

・自分というものに対し究極の価値を入れている(自我)
・私が一番価値あるもの(私が世界一、世界は私を中心に回っている)
・皆がそう思っている
・だから存在を測る度に、自我が揺らぎ不安定になる
・自我と自我がぶつかり、奪い合い、争い、戦い、傷つき、危機が生じている。
・よって、さらに必死になって測ろうとする
・これが世の中の法則
・事実は世界に私がいるだけ

 

以上、ここまでです。

 すごい話になってきました。これが現実に起こっている心の働きです。まだまた気づいていません。不完全な認識から自我の錯覚が生れ、そして測ることで起きる問題、それから生まれる感情にはなんとなく気づいています。さまざまな感情と悩み苦しみを感じていますが、それが存在を測っていること、自我が揺らいでいること、価値を入れて、その価値に執着しているとこには、まだ気づけていないので困っています。不安のままです。不安を止める、離れる、手放すことができません。現状が変わると、すぐ不安になります。失敗し不安になります。成功し不安になります。いったい何をしているのでしょうね、私たちは。生きることで、幸せになるために努力しているのに、どんどん執着を増やし問題がややこしくなり、不安がどんどん増えて、どうしていいかわからず、未来を知りたくなって、さらに測るようになっていっているという悪循環のように思えます。過去を終わり、未来はわからないのに、それすらも認められず思い悩む。愚かです。

 しかし、安心してください。解決策を仏教は教えています。不安にならないようにするための方法は、第2章以降で説明されているので、次回をお楽しみに!
また感想や意見などありましたら、どうぞ教えてください。よろしくお願いいたします。長々と失礼しました。

 

生きとし生けるものが幸せでありますように